1959年(昭和34年)7月 「平和」を「さくら」に名称変更。同時に20系客車による運行を開始。
「さくら」の20系客車化に伴い、1人用個室一等寝台「ルーメット」と開放式一等寝台の合造車である「ナロネ22形」が新たに設計・新造された。
20系客車13両編成中には一等座席車(1969年よりグリーン車)「ナロ20形」、二等座席車「ナハフ20形、ナハフ21形」も組み込まれた。また、東京駅方の6両は博多駅回転となった。
1960年(昭和36年) ディーゼル発電機と電動発電機の双方を搭載した電源車である「カニ22形」が使用されるようになる。
この車両はパンタグラフを装備しており、直流電化区間では電動発電機により編成の電力をまかなった。
1961年(昭和36年)10月1日 のちに「サン・ロク・トオ」と称されるダイヤ改正により、以下のように変更。
本ダイヤ改正から列車番号の符番が変更。前年のダイヤ改正よりそれまで客車列車で運行されていた「つばめ」・「はと」が電車化されて以来、形式上空いていた1列車から始まる列車番号を九州特急と称された寝台特急列車群に与える[2]。これにより、九州特急の下り始発列車であった「さくら」に1列車、その上り列車として2列車が与えられる。
「西海」・「雲仙」で併結運転を行う。
観光団体列車として「九州観光列車」を東京駅 - 長崎駅・大分駅間に設定する。
1961年12月29日 20系客車による下り「さくら」に、山陽本線上で2時間57分遅れで運転されていた気動車準急「あきよし」が追突する事故が起こった。事故復旧に際して20系客車が使用できなくなり、急遽10系客車や在来型客車を代わりに用いたことから、マスコミから「うばざくら」と揶揄された。
うばざくら [編集]
前述したように、1961年(昭和36年)12月29日に発生した事故により、「さくら」用20系客車編成の内14両中12両が破損し、基本編成8両は代車を確保したものの、付属編成6両が不足する事態となった。当時最新の20系客車は、他の寝台特急列車の運用も合わせてぎりぎりの両数がフル稼働している状況であり、しかも年末年始の多客期ゆえに予備車まで総動員しており、直ちにこれらの代替車を捻出することは不可能であった。そのため、事故車の復旧が完了するまでの暫定処置として、10系客車やそれ以前に製造された旧型客車を付属編成の代替として20系編成に併結し、「さくら」の運行に当てることとした。この際、旧型客車を用いたことから、「うばざくら」とメディアから揶揄された。
2等寝台(現在のB寝台)の基本設備に限れば、10系寝台車の設備は20系客車に比して大きく劣るものではなかった。しかし、20系客車と旧型客車とは以下の点で異なっていた。
貫通幌が異なり互換性が無かった。なお貫通幌自体は14系・24系では旧型客車と同じものに戻されている。
集中電源方式による電気暖房の20系と異なり、旧型の暖房は暖房用蒸気を機関車から蒸気管により供給する構造になっている。このことから常に機関車側に連結する必要があり、下り列車では非貫通構造の20系電源車の前位、つまり長崎方に連結せざるをえなかった。
このため上り、下りとも基本編成と付属編成との間の通り抜けができず、付属編成の乗客は食堂車が利用できないなど、サービス面で問題となった。このため国鉄は旧型客車部分を利用した乗客の特急料金を100円払い戻す措置を行った。
1962年1月7日の下り「さくら」の詳細な編成はこちらを参照されたい [表示]表・編・話・歴・PJR・PJRN
1962年<昭和37年>1月7日での下り「さくら」編成 ←長崎駅 (東京駅→)
博多駅←東京駅間連結
車両形式・番号 ナハネ10 66 ナハネ10 94 ナハネ10 98 オハネ17 13 オハネ17 19 スハネ30 63 カニ22 2 ナロネ22 2 ナロ20 54 ナシ20 53 ナハネ20 64 ナハネ20 53 ナハ20 1 ナハフ20 4
座席等級・種別 二等寝台車 電源・荷物車 一等寝台車
(A)・(B) 一等座席車 食堂車 二等寝台車 二等座席車
備考
□枠内の車両は20系客車
□枠内の車両は一般形車両
「ナロネ22形」車両の場合、車両項目及びA寝台、等級の表現と各車種の座席種類についても参照されたい。
東京対長崎県連絡特急「さくら」の変遷 [編集]
1965年(昭和40年)3月 「さくら」の二等座席車「ナハフ21形」を二等寝台車「ナハネフ21形」に変更。二等座席車の連結を終了。
1965年10月 ダイヤ改正により、「さくら」の運行区間を東京駅 - 佐世保駅・長崎駅間に変更。
基本編成を佐世保駅発着に、博多駅で切り離していた付属編成を長崎駅発着に変更。両編成の分割・併合は肥前山口駅で行なった。
その結果、食堂車(ナシ20形)、一等座席車両(ナロ20形)及び1人用個室一等寝台「ルーメット」(ナロネ22形に6室設置)を連結した編成(これをいわゆる基本編成と称する)が佐世保駅発着となり、翌年の編成交換まで長崎駅発着編成には開放型A寝台車(ナロネ21形)とB寝台車のみのいわゆる付属編成が乗り入れた。なおこの付属編成には、肥前山口駅以西においてはオハシ30形等旧型客車から改造された簡易電源車「マヤ20形」が連結された。
「さくら」の東京駅 - 下関駅間の牽引機がEF60形500番台からEF65形500番台(P型)に変更され、東海道本線、山陽本線での最高速度が110km/hとなった。なお、関門間はEF30形、鹿児島本線はED72形及びED73形、長崎本線・佐世保線内はDD51形が牽引した。
また、佐世保編成はスイッチバックを行う早岐駅から終着の佐世保駅まではC11形蒸気機関車がバックで牽引し話題となった。
1966年(昭和41年)10月 「さくら」の長崎編成と佐世保編成を交換。
1967年(昭和42年)10月 このときのダイヤ改正により「九州観光列車」の名称を変更し、長崎行きを「五島」(ごとう)とする。
1968年(昭和43年)6月20日 「さくら」長崎編成中に連結していたナロ20形をナハネ20形に変更。座席車の連結を終了した。
1968年(昭和43年)10月1日 のちに「ヨンサントオ」と称されるダイヤ改正により、以下のように変更。
従来、東京駅 - 西鹿児島駅間運行の「はやぶさ」の付属編成を博多駅切り離しを止め、長崎駅まで延長。
急行列車「五島」を「ながさき」に列車名を変更。同時に季節列車化。
従来、東京駅 - 佐世保駅・長崎駅間運行の「西海・雲仙」は運行区間を変更。大阪駅 - 佐世保駅間運行の「西海」、京都駅 - 長崎駅間運行の「雲仙」に変更する。→以降はあかつき_(列車)、山陽本線優等列車沿革も参照されたい。
1970年(昭和45年)10月1日 急行「ながさき」の運行区間を大阪駅 - 長崎駅間とし、列車名を「雲仙」に変更。これにより、「さくら」と「はやぶさ」が東京駅対長崎県連絡の使命を負う事となる。
1972年(昭和47年)10月 「さくら」使用車両を、当時「新型ブルートレイン」と称された14系客車(14系14形)に変更。
ダイオード とろろ ステレ フトジス ノックス ノンス アーメン 承和 シデコ 人生情け ファイ ユーザン ナンテン マージ モカ トタン ジャフ シナジー バレリアン 刀根早 ネコ マニラ 赤信号 バイレ ストライ シロカイン ランタイ 初瀬の舞 フック イーメール コースター オジギソウ スマー スワッピン しかみ おおや キャッ ジオイ チャー オーボエ アーガム テレコ おおよど スイート マークート フロッグマン ドオル コース オリーブ どんぐり
編成としては長崎編成に食堂車(オシ14形)及び開放式A寝台車(オロネ14形)を連結、佐世保編成はB寝台のみとなった。
これにより、「さくら」への1人用A個室寝台及び佐世保編成へのA寝台車の連結が終了。また、分散電源方式の14系客車の導入により、佐世保編成への簡易電源車の連結が終了。ちなみに、佐世保編成のA寝台車連結は1994年に復活する。
1975年(昭和50年)3月20日 山陽新幹線博多駅乗り入れに伴うダイヤ改正を実施。この際、「はやぶさ」の車両を20系客車から、24系客車(24系24形)に変更。これに伴い「はやぶさ」を西鹿児島駅・長崎駅行きから、西鹿児島駅行き(付属編成は熊本駅まで)に変更し、分散電源方式の14系客車で運転していた熊本駅行きの「みずほ」を熊本駅・長崎駅行きに変更した。
1978年(昭和53年)7月 「さくら」の東京駅 - 下関駅間の牽引機がEF65形500番台(P型)からEF65形1000番台(PF型)に交代
1983年(昭和58年)「さくら」に使用中のオハネ14形及びスハネフ14形のB寝台を3段式から2段式に改造するのに伴い、長期にわたりB寝台車の計画的な欠車が実施される。一部の列車では、スハネフ14形の代用に座席車であるスハフ14形を連結する。
1984年(昭和59年)2月 1970年代半ばより合理化策の一環として廃止されていた九州島内のヘッドマーク(円盤型)の取り付けが復活。
1984年7月20日 長崎編成に4人用個室B寝台「カルテット」(オハネ14形700番台)の連結を開始。また、この時期までにB寝台の2段化が完了する。
従来、個室寝台は一等・二等寝台車の後身となるA寝台でのみあり、1984年時点では24系25形客車の1人用個室である「オロネ25形」が唯一の存在であった。しかし、グループ利用の促進等を目的として、初めてB個室寝台として改造された。