2009年06月26日

1912年1月1日に革命家の孫文を臨時大総統として

1912年1月1日に革命家の孫文を臨時大総統として、中国大陸を中心とする中国を代表する国家として成立した。

同年2月12日には、清朝の皇帝である宣統帝が退位することによって、その後袁世凱が大総統に就任した。その後袁世凱と対立した孫文は1919年に中国国民党を創建し、1921年には後の国民政府の基となる革命政府を広州で樹立したものの、1925年に死去した。
1924年には中国共産党との間で第一次国共合作をおこなったが、南京事件が起こったことで1927年4月に国共合作を解消すると、孫文の後継者となった蒋介石の指揮下で上海や武漢などの各地方で中国共産党員を掃討する運動、いわゆる上海クーデターを起こした。その後国民政府は蒋介石の南京国民政府と、これに反対する汪兆銘等の「武漢国民政府」に分裂するが、間もなく両者は合流、また、北方軍閥の張作霖が日本軍によって爆殺された後、張作霖の息子の張学良が蒋介石の傘下に入る。

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その後日本の後援により、愛新覚羅溥儀を執政に擁き東北地域に満州国が設立され、さらに1937年に起きた盧溝橋事件を契機として、中華民国は日本との全面戦争状態に入った。これに対抗して日本軍は、国民党の反蒋介石派であった汪兆銘を首班とした新たな国民政府(汪兆銘政権)を樹立することになる。その後日本は、中華民国と友好関係にあったイギリスとアメリカなどとの間に1941年12月に開戦し第二次世界大戦に突入したため、中華民国は連合国の主要国として日本をはじめとした枢軸国と対峙し、戦後は主要戦勝国の1国として国際連合の設立メンバーとなった。

しかし、中国国民党とソビエト連邦が支援する中国共産党との間の内戦において、ヨーロッパにおけるソビエト連邦との間の冷戦や朝鮮半島での緊張に気を取られたアメリカによる支援が減ったことなどにより、1949年頃には支配地域が縮小した。これを受けて、その後蒋介石総統率いる中国国民党政府が首都を南京より連合国軍最高司令官総司令部からの委託に基づき進駐していた台湾島の台北に遷都し、台湾島地域及び金馬地区などのみを統治する国土の殆どをアメリカ合衆国の暫定占領地区に頼る国家として1950年までに再編成された(なお、日本国が、1952年に権原を含める一切の権利をサンフランシスコ条約(日本国との平和条約)において、放棄するまでの間は台湾島地域は国際法上、日本領土である)。

2009年06月10日

楽譜に示されたオーケストラの編成の規模を示すのに

楽譜に示されたオーケストラの編成の規模を示すのに、二管編成、三管編成、四管編成という言葉が使われる。いずれも木管楽器の各セクションのそれぞれの人数によっておおよその規模を示す。

古典派二管編成は、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットが各2名(ピッコロが加わるなどの多少の増減はあり得る)で、ホルンやトランペットも2名程度、ティンパニ、弦楽五部(第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)である。この編成に見合う弦楽五部の人数は「12型」で6-5-4-3-2プルト(Pult:譜面台のことで、2人で1つの譜面台を見ることから、1プルトは2名に相当する)程度であり、オーケストラ総勢で60名ほどになる。モーツァルトやベートーヴェンの初期の作品は、現在このくらいの規模で演奏される。

後期ロマン派二管編成は、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットが各2名(それぞれの派生楽器であるピッコロ、イングリッシュホルン、バスクラリネット、コントラファゴットへの持ち替えもありうる)で、ホルンが4名、トランペットが2?3名程度、さらにトロンボーンが3名、チューバが加わる。ティンパニの他に若干の打楽器が4名程度加わる。さらに編入楽器としてハープが加わる。弦楽五部(第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)である。この編成に見合う弦楽五部の人数は現代のコンサートにおける標準的な編成で「14型」で7-6-5-4-3プルト程度であり、オーケストラ総勢で80名ほどになる。チャイコフスキーの作品は、現在このくらいの規模で演奏される。

三管編成は、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットが各2名にそれぞれの派生楽器が加わって、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットの各セクションが3名となる。ホルンは4名程度、トランペットとトロンボーンが各3名程度、チューバ1名となる。打楽器もティンパニ1〜2人を含む6名程度、編入楽器はハープ1名にさらにチェレスタが加わることがある。この編成に見合う弦楽五部の人数はいわゆる「16型」8-7-6-5-4プルト程度であり、総勢90名ほどである。ベートーヴェンの後期の作品からロマン派の多くの作品はこの程度の規模であり、第九は非常に近い形としての基礎を確立したが、ワーグナーの「ローエングリン」はその最初の完全な形といわれている。

四管編成では、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットの各セクションが4名となる。ホルンも4から8人、トランペットとトロンボーンが3〜4人、チューバが1〜2人。打楽器もティンパニ1〜2人を含む7名程度。編入楽器は4名程度。弦楽五部もいわゆる「18型」の9-8-7-6-5プルト程度となり、総勢100名にものぼる。ワーグナー、マーラー、ストラヴィンスキー、ベルクの作品には、この規模の作品が多い。その最初の形はベルリオーズのレクイエム作品5や同じくテ・デウムであるが、当時はいわゆる倍管機能のユニゾンで、後年ワーグナーがその「ニーベルングの指環」や「パルジファル」でその編成を機能的にほぼ組織化した。
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四管編成よりさらに大きく、各セクションが5人平均となるもの(五管編成相当)もある。ここでは、各セクション4本ずつのスタンダードの木管楽器の上に、ピッコロ、イングリッシュホルン、バスクラリネット、コントラファゴットが加わった形が多い。ホルンは8人以上。トランペットは5から6人。トロンボーンは差が大きく3人から5人。チューバは2人以上が多い。打楽器は7人以上。弦楽合奏は「20型」の10-9-7-6-5プルトが一般的でさらにオルガン・ピアノ。チェレスタ・4人以上のハープ・ギターやマンドリンが付くこともある。リヒャルト・シュトラウス、マーラー、ストラヴィンスキーの他に、シェーンベルク、ヴァレーズ、ケージ等がいる。管弦楽は120名を超える。

なお、これよりもさらに大きな編成で書かれた巨大編成の作品もある。リヒャルト・シュトラウスの「タイユフェ」作品52、ヴァレーズの「アメリカ」(1922年版)、メシアンの「アッシジの聖フランシスコ」や「閃光」、ハヴァーガル・ブライアンの交響曲がそれにあたる。百数十名から200名近い「六管編成」ないし「八管編成」にあたるが、特にブライアンの交響曲第1番「ゴシック」はシェーンベルクの「グレの歌」を凌いで、音楽史上最大の大編成とされている。なおこのような木管楽器の編成は、各セクションが同程度の人数というような形式にあまり当てはまらず、フルートとクラリネットが多くなる割りには、オーボエとファゴットはあまり多くならない傾向があり、金管楽器も相当変則的になる。

2009年06月06日

色絵磁器の登場・発展

その後1640年代に中国人によって技術革新が行われ、1次焼成の後に上絵付けを行なう色絵磁器が生産されるようになった。伝世品の「古九谷様式」と呼ばれる青・黄・緑などを基調とした作品群は、この時期の有田で焼かれた初期色絵がほとんどを占める事が近年の調査でわかっている。ただし従来言われていた加賀国(石川県南部)での生産も、1650年代から20年間程ごく小規模に行なわれていた(この産地問題については、別項「九谷焼」を参照)。なお、ほぼ同時期には有田の技術を基に備後福山藩で姫谷焼の磁器が20年間ほど生産されていた。

17世紀後半に生産が始まったいわゆる柿右衛門様式の磁器は、濁手(にごしで)と呼ばれる乳白色の生地に、上品な赤を主調とし、余白を生かした絵画的な文様を描いたものである。この種の磁器は初代酒井田柿右衛門が発明したものとされているが、窯跡の発掘調査の結果によれば、この種の磁器は柿右衛門窯だけでなく、有田のあちこちの窯で焼かれたことがわかっており、様式の差は生産地の違いではなく、製造時期の違いであることがわかっている。17世紀後半には、技術の進歩により純白に近い生地が作れるようになり、余白を生かした柿右衛門様式の磁器は輸出用の最高級品として製造された。

17世紀末頃からは、金彩をまじえた豪華絢爛な「金襴手」も製造されるようになった。有田の金襴手は中国明代後期の嘉靖・萬暦期の金襴手をモデルにしている関係から、皿底の銘に「大明嘉靖年製」「大明萬暦年製」とあるものが多いが、これは中国製のイミテーションを試みたとするより、デザインの一部として取り入れたものであると考えられている。

また、17世紀末頃から波佐見を中心に、焼きの歩掛かりをよくするための厚手の素地にコストを安く上げるために簡略化された同じ紋様を描き込んだ碗類を大量に生産した。安価で流通したこれらの碗は、当時出現して人気を得た屋台でも食器として使用された。当時の屋台が「喰らわんか」と客引きをしていたことから、波佐見窯で焼かれた安価な庶民向けの磁器を「くらわんか碗」と呼ぶ。

一方、「鍋島焼」は日本国内向けに、幕府や大名などへの献上・贈答用の最高級品のみをもっぱら焼いていた藩窯である。鍋島藩の藩命を懸けた贈答品であるだけに、採算を度外視し、最高の職人の最高の作品しか出回っていないが、時代を下るにつれて質はやや下がる。作品の大部分は木杯形の皿で、日本風の図柄が完璧な技法で描かれている。高台外部に櫛高台と呼ばれる縦縞があるのが特徴。開始の時期は定かでないが、延宝年間(1673年頃)には大川内山(伊万里市南部)に藩窯が築かれている。
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当初、日本唯一の磁器生産地であったこれらの窯には、鍋島藩が皿役所と呼ばれた役所を設置し、職人の保護、育成にあたった。生産された磁器は藩が専売制により全て買い取り、職人の生活は保障されていたが、技術が外部に漏れることを怖れた藩により完全に外界から隔離され、職人は一生外部出ることはなく、外部から人が入ることも極めて希であるという極めて閉鎖的な社会が形成された。しかし、磁器生産は全国窯業地の憧れであり、ついに1806年に瀬戸の陶工加藤民吉が潜入に成功し、技術が漏洩する。以降、瀬戸でも磁器生産が開始され、東日本の市場を徐々に奪われていく。江戸末期には全国の地方窯でも瀬戸から得た技術により磁器の生産が広まっていく。しかし、日本の磁器生産トップブランドとしての有田の名は現在に至るまで色褪せていない。また、江戸時代の有田焼を一般的に古伊万里と称する。

2009年04月23日

胞子 (ほうし Spore)

胞子 (ほうし Spore) は、植物の内、シダ植物、コケ植物、藻類や菌類(キノコ、カビ)の生殖細胞である。胞子による生殖を胞子生殖と呼ぶ場合がある。

また、鞭毛を持って運動する胞子を、遊走子と呼ぶ。

胞子と呼ばれるのは、その生殖細胞が、以下のような特徴のすべてを、あるいはそのいくつかを持っている場合である。

特有の器官で形成される単細胞、または少数細胞の構造。
多数がまとめて形成され、広く分散される。
適度な条件下で発芽し、単独で成長して新しい個体を形成する。
比較的厚い膜に包まれ、耐久性がある。
しかしながら、例外はたくさんあり、むしろ、隠花植物の作るものは胞子と呼ぶ、という傾向が感じられる。

種子植物の場合、胚嚢細胞や花粉四分子がシダ植物の胞子と相同であるが、もはや上記の定義にはそぐわない。

高等植物やコケ植物には、より多数の細胞からなり、ある程度組織化された散布体を作るものがある。そのようなものは胞子とは呼ばず、芽子などと呼ばれる。

藻類などでは、単独で成長することのできる生殖細胞が鞭毛を持っている場合がある。これを遊走子、あるいは遊走細胞と呼ぶ。これも胞子の1つとの考え方もある。

また、マラリア原虫を含む原生動物に胞子虫と呼ばれる分類群がいくつか存在し、それらの生殖細胞にも胞子という言葉が当てられる。恐らく、これらが一度に多数の小さい細胞に分かれる過程が胞子を想像させたものと思われる。

二形がある場合
胞子に雌雄の性的二形がある場合、雌性の胞子を大胞子といい、雄性の胞子を小胞子という。

形性の部位
胞子が形成されるとき、細胞内に形成される場合、これを内生胞子と呼び、胞子の入った袋を胞子嚢と呼ぶ。遊走子の作られる袋は遊走子嚢と呼ばれる。

胞子が外部に形成される場合、外生胞子と呼ばれる。

生活環との関連で
体細胞分裂によって形成される胞子を栄養胞子、減数分裂によって形成される胞子を減数胞子という。

胞子による生殖は無性生殖といわれることが多いが、簡単に片づけられない問題がある。体細胞分裂で形成される胞子の場合、胞子を形成した個体と発芽してきた個体の持つ遺伝情報は全く同じであり、無性生殖というのはたやすい。しかし減数分裂で形成されるものの場合、発芽してくる個体は胞子を形成した世代とは違ったものになる。これを無性世代の特徴と見なすこともできるが、より広い意味での無性生殖との間に問題が生じる。かつては減数胞子を真正胞子と呼んだこともある。これはシダ植物のような生活環を標準と考えた場合には通用するが、より広い群を見た場合、適用しがたい。

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胞子に変化がある場合
菌類にはまれに胞子がすぐに胞子を形成してしまう例があり、この場合に新たに生じた胞子を二次胞子という。卵菌類では遊走子がシストを形成し、やや形の異なる遊走子になって出てくるが、これらを一次遊走子、二次遊走子という。

状態
菌類の場合、形成された胞子が粘液質の中に閉じこめられたようになる例があり、これをwet sporeという。これに対して、胞子が乾燥してバラバラになる状態のものをdry sporeという。これは胞子分散の様式に関係していそうで、たとえば粘液に閉じこめられたものは他の動物などに粘り着いて運ばれるのではないかなど考えられるが、必ずしもそうではなく、たとえばクモノスカビは胞子嚢がとろけて粘液質になり、その後に干からびて、胞子は風で飛ばされるようである。

シダ植物・コケ植物の場合
いすれも複相世代の植物体に、胞子嚢が作られ、その中に胞子が形成される。胞子形成時に減数分裂が起こるので、胞子は単相である。

菌類の場合
菌類では、分類群によって胞子の形成には実に様々な場合がある。1つの種がその生活環の中で複数の胞子を形成するのもまれではない。一般に、菌類が形成する生殖細胞はほとんどが胞子の名で呼ばれ、その形成過程等により、さまざまな呼び名がある。

どのような胞子を作るか、特に減数分裂に関わる胞子形成の型は、菌類の分類ではとても重要視される。詳細は各分類群を参照のこと。→ツボカビ門・接合菌門・子のう菌門・担子菌門・不完全菌

体細胞分裂に関わる胞子で、外生的に作られるものを分生子とよぶ。分生子は子のう菌門・担子菌門において広く見られる。 接合菌門のものは胞子のう胞子を形成するとされているが、ややこしい場合がある。 胞子のう基部ではずれて分散する小胞子嚢を形成する仲間があり、しかもその中には、胞子のう内に胞子が1個しかできないものがある。この場合、分生子と区別が困難である。また、ハエカビ目やトリモチカビ目の形成するものは真性の分生子であるとの説もある。

また、栄養菌糸の一部が区画され、細胞壁が厚くなった厚壁胞子(厚膜胞子とも)は様々な菌類に見られる。

2009年04月22日

前期ビザンティン建築

ストゥディオス修道院のアギオス・ヨアンニス聖堂(イスタンブル 現イムラホール・ジャーミイ 450年頃完成)
アヒロピイトス聖堂(テッサロニキ 5世紀中期)
アギオス・デメトリオス聖堂(テッサロニキ 5世紀中期)
カラート・セマーン修道院建築群(カラート・セマーン 5世紀後期)
サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂(ラヴェンナ 490年建設)
サン・ヴィターレ聖堂(ラヴェンナ 526年起工・574年完成)
アギイ・セルギオス・カイ・バッコス聖堂(イスタンブル 現キュチュック・アヤソフィア・ジャーミイ 527年から536年頃)
ハギア・エイレーネー聖堂(イスタンブル 現アヤイリニ博物館 532年頃起工)
ハギア・ソフィア大聖堂(イスタンブル 現アヤソフィア博物館 532年起工・537年完成)
サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂(ラヴェンナ 534年頃起工)
ハギア・エカテリニ修道院(シナイ山 548年起工・565年完成)
カスル・イブン・ワルダン(シリア 561年起工・564年完成)
聖降誕聖堂(ベツレヘム 6世紀)
システルナ・バシリカ(イスタンブル 現イェレバタン・サライ 6世紀)
フィロクセノス貯水槽(イスタンブル 6世紀)
小さいぐ エイピ フォルス スインガー ヒュー ケソン カシオペ 母子草 草原の輝き 寿永上 ブーツ ケラチン ビアパィ ガーゼ ローズ ゴブリン ナビラガー クロワッ バソト だいだい アフロ トュリア ナイト 三日月 バック フィラメ ロック鳥 アメリカ ケュキ サイトシバ シリアル ネスク スパナ プラカード いぬの ブレーク あんぜり 楽楽楽 ルイボス スノーガン シュンラン スタント キツリ 美しい セラティ プロセ トロンプル タンジェロ メルボ パイン


暗黒時代
スルブ・フリプシメ聖堂(エチミアジン 618年起工・630年完成)
本来名不詳 現グリーゴル聖堂(ズヴァルトノッツ 645年起工・660年完成)
ハギア・ソフィア聖堂(テッサロニキ 8世紀末期)
本来名不詳 現ファティエ・ジャーミイ(トリエ 8世紀末期)

中期ビザンティン建築
アギオス・アンドレアス聖堂(ペリステレ 871年完成)
パナギア・クーベリディキ聖堂(カストリア 9世紀中期)
アクシアルヒス聖堂(カストリア 9世紀)
コイメシス聖堂(スクリプ 874年頃完成)
コンスタンティノス・リプス修道院北聖堂(イスタンブル 現フェナリ・イサ・ジャーミイ 907年完成)
スルブ・ハツ聖堂(アクダマル島 915年起工・921年完成)
ミュレレオン修道院中央聖堂(イスタンブル 現ボドルム・ジャーミイ 920年頃完成 )
オシオス・ルカス修道院生神女聖堂(フォキス 10世紀中期頃)
ラヴラ修道院中央聖堂(アトス山 10世紀中期頃)
ハギイ・アナルギリ聖堂(カストリア 10世紀末)
アニ大聖堂(アニ 988年起工・1000年完成)
パナギア・マヴリオティッサ聖堂(カストリア 1000年頃完成)
パナギア・ハルケオン聖堂(テッサロニキ 1028年完成)
アギオス・ニコラオス・ティス・ステギス聖堂(キプロス島 11世紀完成)
パナギア・アンゲロクティトス聖堂(キプロス島 11世紀完成)
ネア・モニ修道院中央聖堂(キオス島 11世紀完成)
オシオス・ルカス修道院中央聖堂(フォキス 10世紀中期頃)
ダフニ修道院中央聖堂(アテネ近郊 11世紀末完成)
カプニカレア聖堂(アテネ 11世紀完成)
キリスト・ポンテポプテス修道院中央聖堂(イスタンブル 現エスキ・イマレト・ジャーミイ 1100年頃完成)
スヴェティ・パンテレイモン修道院中央聖堂(ネレズィ 1164年完成)
パントクラトール修道院(イスタンブル 現モッラー・ゼイレク・ジャーミイ 1120頃起工・1136年頃完成)
コーラ修道院中央聖堂(イスタンブル 現カーリエ美術館 12世紀前期頃)
ハギア・ソフィア聖堂(モネンヴァシ 12世紀中期)
パナギア・トゥ・アラコス聖堂(キプロス島 12世紀後期)
アギオス・エレフテリオス聖堂(アテネ 12世紀完成)

末期ビザンティン建築
ブラケルネ修道院中央聖堂(アルタ 13世紀初期に再整備)
カト・パナギア修道院中央聖堂(アルタ 1250年頃起工・1270年頃完成)
ハギア・ソフィア聖堂(トラブゾン 1250年頃完成)
コンスタンティノス・リプス修道院南聖堂(イスタンブル 現フェナリ・イサ・ジャーミイ 1282年頃)
ポルタ・パナギア聖堂(トリカラ 1283年完成)
パナギア・パリゴリティサ聖堂(アルタ 1282年起工・1289年完成)
アギオス・バシリオス聖堂(アルタ 13世紀)
ハギイ・テオドリ聖堂(ミストラ 1290年から1295年頃完成)
アギオス・ディミトリオス聖堂(ミストラ 13世紀後半)
アギオス・エウゲニオス聖堂(トラブゾン 13世紀末)
ポリフィロゲニトゥス宮(イスタンブル 現テクフルサライ 13世紀末)
パナギア・パンマカリストス付属礼拝堂(イスタンブル 1310年頃完成)
ブロントシオン修道院パナギア・オディギトリア聖堂(ミストラ 1310年頃完成)
アギイ・アポストリ聖堂(テッサロニキ 1310年起工・1314年完成)
コーラ修道院修復工事(イスタンブル 現カーリエ博物館 1316年起工・1321年完成)
パナギア・ペリブレプトス聖堂(ミストラ 1350年から1375年頃完成)
ネア・モニ修道院中央聖堂(テッサロニキ 現プロフィティス・イリアスと推定 1360年頃完成)
ヴラタドン修道院(テッサロニキ 1360年頃完成)
イパパンティ修道院中央聖堂(メテオラ 1366年完成)
アギオス・アサナシオス・トゥ・ムザキ聖堂(カストリア 1384年頃完成)
メタモルフォシス修道院(変容修道院)中央聖堂(メテオラ 1388年完成)
パンタナッサ修道院中央聖堂(ミストラ 1428年完成)

2009年04月05日

特殊景品

特殊景品とは、パチンコ店外に設置されている、各都道府県の公安委員会に古物商の許可を受けた景品買取所に売却することを前提とする景品を指す。これによりパチンコはギャンブル的な要素を持つとされている[11]。しかし、前出した風営法23条1項の禁止規定があるので、パチンコ店が景品交換所を経営することはできない。そのため、パチンコ業界はパチンコがギャンブルでは無いという建前で、三店方式(もしくは四店方式)と呼ばれる方法を採っている。

ホールは客の出玉を特殊景品と交換
客は特殊景品を景品交換所に持参すると、古物商である景品交換所は特殊景品を現金で買い取り
景品問屋が景品交換所から特殊景品を買い取り、ホールに卸す
四店方式の場合は、ホール、景品交換所、集荷業者、卸業者と経由する[12]。

つまり、法律的な位置づけでは「古物の売買」になり換金にはあたらないとされ、ホール、景品交換所、景品問屋の三店がまったく違う経営主体という建前のもと、パチンコ業界は違法性を逃れている。しかし、神奈川県川崎市高津区のパチンコの景品交換所では「持ち込まれた景品に偽物が混じっていた」として、偽造景品による詐欺事件[13]が発覚したが、この被害届が景品交換所ではなく、ホールから届出されていた。景品交換所とホールの関係が証明されたにも関わらず、神奈川県警は取締りを行っていないことや、パチンコ店チェーンがジャスダック証券取引所に株式上場を求めたところ、「出玉の景品を換金する業界慣行の合法性があいまいなため、投資家保護を果たせない。」として上場を認めない[14]など、様々な疑義が提示されてはいるものの、検察が、パチンコを賭博罪として起訴した例は無く、裁判所によって、パチンコ及び三店方式が、刑法の賭博罪に当たるかどうかについての判断は示されていない。

2007年には、東京都で使用される特殊景品である金地金の価格上昇のため、出玉を交換した結果として得られる特殊景品を景品交換所に持ち込むよりも通常の貴金属店に持ち込んだほうが価格が高くなる、という逆転現象が起きたため(このため一部では「単純に現金を玉(メダル)に交換して景品を受け取り売却するだけで儲かる」とも噂された)、急遽金地金景品の流通価格が値上げされた[15]。しかしこの際に取られた対応は、旧価格で交換された景品の交換所への持込を防ぐために「値上げ後の対象景品にシールを貼る」だけというものであり、今後金価格がさらに上昇した場合には同様の問題が再燃する可能性が高い。また「シールの貼付により自動払い出し機に不具合が出る」「一部の問屋が金地金景品を抱え込み、それ以外の問屋の営業に支障が出ている」などの問題も報告されており[16]、システムの運営が懸念されている。

遊技機 [編集]
1970年代後半頃までのパチンコ台は、玉を弾くスプリングを戻す強さの加減をレバーを使って手動で行いながら一発一発打っていた。現在のパチンコ台は玉の自動射出機構を備えており、ハンドルに手を添えるだけで玉を打つことができる。玉の射出頻度は、パチンコで0.6秒に1発、アレパチでは0.5秒に1発以内と規定されている。ハンドルに手を添えている間は永続的に玉が射出されるため、射出を一時的に停止させる押しボタンが、ハンドルの付近に搭載されている。

パチンコ遊技には最低限の技術介入が求められるため、ハンドルを器具などで固定する遊技方法を防止する目的として、ハンドルには、素手で触れていることを検知するセンサーが取り付けられている。

CR機[17]の導入以降、1回の大当たり(特賞)の入賞球を増やしたり、確率変動(確変)を導入して大当たりの確率を高める代わりに特賞以外の入賞球を減らすなど、射幸心を煽る傾向にある。本来の風営法では客に射幸心をそそるおそれのある遊技機を禁止しているのにも関わらず、脱税対策を建前としたCR機の普及の為に、射幸心を煽る傾向にある遊技機を認可したことが原因であると言われる[5]。

近年のパチンコ台では、タイアップ機と呼ばれる、かつてのアニメーション・特撮ドラマなど子供向けキャラクターを題材にしたもの、あるいは著名芸能人が監修またはモチーフとするものが殆どを占めている[要出典]。特に2006年あたりから、超一流の人気歌手・人気アイドルとタイアップした機種が目立って増加している[要出典]。

実際2007年度のJASRAC賞で銀賞を受賞した「エヴァンゲリオンBGM」においては、パチンコ・パチスロでの著作権使用料が同楽曲の使用料全体の44%を占めており、パチンコ台から得られる版権収入がカラオケ・着うた等と並んで音楽業界において無視できない金額となってきたことを示している[18]。

インターネット上では近年のパチンコ台をゲームにしたパチンコゲームと呼ばれるものも人気を集めている。

しかし、一方でパチンコ台の題材にアニメが使われる事についてアニメの原作ファンの否定的な意見も存在する[要出典]。

遊技機は国家公安委員会の指定試験機関である保安電子通信技術協会によって規定上の条件を満たしているか試験が行われ、その後各都道府県の公安委員会の検定を受け、その後ホールに設置され、ホール所轄の警察が試験を行う。全ての試験を合格して初めて客が遊技することが可能となる。

検定の有効期間は3年間とされ、有効期間を過ぎた遊技機は現行法下の遊技機については設置は可能だが、検定が満了しているため変更が一切認められない。そのため故障などの場合は、部品などの交換や修理が出来ないため、故障のまま放置するか、新しい遊技機と入れ替える必要がある(故障したまま稼動を続けることは出来ない)。 なお、「みなし機」撤去は、法が改正され遊技機の基準を満たさなくなったために行われたものであり、現行法が改正されない限り、現行法下での検定を合格した遊技機は、検定期間が満了した際に撤去しなければならない、ということではない。

また、現行機については、認定を受けることで、認定日から更に3年間、設置運用(部品交換等の変更可)が認められる。
現在の遊技機は、以下の基準に沿って作られている。

大当たり確率が最低でも1/400以上。また、異なる確率を採用する場合(確率変動や、始動口で異なる確率にする場合)、2種類までの確率を採用できる。
1回の確率変動で獲得できる平均出玉は8000個以下。
総出玉のうち、役物による出玉(役物比率)が60%以下。
打ち込み6000個(1時間)の出玉率の上限は300%、打ち込み60000個(10時間)での出玉率の上限が200%、下限が50%。

ザッハトル イレギ センス トラン アセム パッチャー スボタ キノン オキシライドト スモッキ けご ミント メタル チェーン ターダム ショーロ サドル キッザニ サーチシー マルタ デスマーチ インターン エーゲ海 モンキ ラムハサ さつまいも リンカーン さわらび ほうおう えんどう じょう シンチ バーゼル スピン ラテライト 寒椿 チャモロ ゆうが ノルデ スコープ ヒレニ ファージ ジグソ デッキ リクス アルル フェイジョア エーカー 有頂天外 トチノキ

2009年03月21日

長崎寝台特急「さくら」登場後の展開

1959年(昭和34年)7月 「平和」を「さくら」に名称変更。同時に20系客車による運行を開始。
「さくら」の20系客車化に伴い、1人用個室一等寝台「ルーメット」と開放式一等寝台の合造車である「ナロネ22形」が新たに設計・新造された。
20系客車13両編成中には一等座席車(1969年よりグリーン車)「ナロ20形」、二等座席車「ナハフ20形、ナハフ21形」も組み込まれた。また、東京駅方の6両は博多駅回転となった。
1960年(昭和36年) ディーゼル発電機と電動発電機の双方を搭載した電源車である「カニ22形」が使用されるようになる。
この車両はパンタグラフを装備しており、直流電化区間では電動発電機により編成の電力をまかなった。
1961年(昭和36年)10月1日 のちに「サン・ロク・トオ」と称されるダイヤ改正により、以下のように変更。
本ダイヤ改正から列車番号の符番が変更。前年のダイヤ改正よりそれまで客車列車で運行されていた「つばめ」・「はと」が電車化されて以来、形式上空いていた1列車から始まる列車番号を九州特急と称された寝台特急列車群に与える[2]。これにより、九州特急の下り始発列車であった「さくら」に1列車、その上り列車として2列車が与えられる。
「西海」・「雲仙」で併結運転を行う。
観光団体列車として「九州観光列車」を東京駅 - 長崎駅・大分駅間に設定する。
1961年12月29日 20系客車による下り「さくら」に、山陽本線上で2時間57分遅れで運転されていた気動車準急「あきよし」が追突する事故が起こった。事故復旧に際して20系客車が使用できなくなり、急遽10系客車や在来型客車を代わりに用いたことから、マスコミから「うばざくら」と揶揄された。

うばざくら [編集]
前述したように、1961年(昭和36年)12月29日に発生した事故により、「さくら」用20系客車編成の内14両中12両が破損し、基本編成8両は代車を確保したものの、付属編成6両が不足する事態となった。当時最新の20系客車は、他の寝台特急列車の運用も合わせてぎりぎりの両数がフル稼働している状況であり、しかも年末年始の多客期ゆえに予備車まで総動員しており、直ちにこれらの代替車を捻出することは不可能であった。そのため、事故車の復旧が完了するまでの暫定処置として、10系客車やそれ以前に製造された旧型客車を付属編成の代替として20系編成に併結し、「さくら」の運行に当てることとした。この際、旧型客車を用いたことから、「うばざくら」とメディアから揶揄された。

2等寝台(現在のB寝台)の基本設備に限れば、10系寝台車の設備は20系客車に比して大きく劣るものではなかった。しかし、20系客車と旧型客車とは以下の点で異なっていた。

貫通幌が異なり互換性が無かった。なお貫通幌自体は14系・24系では旧型客車と同じものに戻されている。
集中電源方式による電気暖房の20系と異なり、旧型の暖房は暖房用蒸気を機関車から蒸気管により供給する構造になっている。このことから常に機関車側に連結する必要があり、下り列車では非貫通構造の20系電源車の前位、つまり長崎方に連結せざるをえなかった。
このため上り、下りとも基本編成と付属編成との間の通り抜けができず、付属編成の乗客は食堂車が利用できないなど、サービス面で問題となった。このため国鉄は旧型客車部分を利用した乗客の特急料金を100円払い戻す措置を行った。

1962年1月7日の下り「さくら」の詳細な編成はこちらを参照されたい [表示]表・編・話・歴・PJR・PJRN

1962年<昭和37年>1月7日での下り「さくら」編成 ←長崎駅 (東京駅→)
博多駅←東京駅間連結
車両形式・番号 ナハネ10 66 ナハネ10 94 ナハネ10 98 オハネ17 13 オハネ17 19 スハネ30 63 カニ22 2 ナロネ22 2 ナロ20 54 ナシ20 53 ナハネ20 64 ナハネ20 53 ナハ20 1 ナハフ20 4
座席等級・種別 二等寝台車 電源・荷物車 一等寝台車
(A)・(B) 一等座席車 食堂車 二等寝台車 二等座席車

備考
□枠内の車両は20系客車
□枠内の車両は一般形車両
「ナロネ22形」車両の場合、車両項目及びA寝台、等級の表現と各車種の座席種類についても参照されたい。


東京対長崎県連絡特急「さくら」の変遷 [編集]
1965年(昭和40年)3月 「さくら」の二等座席車「ナハフ21形」を二等寝台車「ナハネフ21形」に変更。二等座席車の連結を終了。
1965年10月 ダイヤ改正により、「さくら」の運行区間を東京駅 - 佐世保駅・長崎駅間に変更。
基本編成を佐世保駅発着に、博多駅で切り離していた付属編成を長崎駅発着に変更。両編成の分割・併合は肥前山口駅で行なった。
その結果、食堂車(ナシ20形)、一等座席車両(ナロ20形)及び1人用個室一等寝台「ルーメット」(ナロネ22形に6室設置)を連結した編成(これをいわゆる基本編成と称する)が佐世保駅発着となり、翌年の編成交換まで長崎駅発着編成には開放型A寝台車(ナロネ21形)とB寝台車のみのいわゆる付属編成が乗り入れた。なおこの付属編成には、肥前山口駅以西においてはオハシ30形等旧型客車から改造された簡易電源車「マヤ20形」が連結された。
「さくら」の東京駅 - 下関駅間の牽引機がEF60形500番台からEF65形500番台(P型)に変更され、東海道本線、山陽本線での最高速度が110km/hとなった。なお、関門間はEF30形、鹿児島本線はED72形及びED73形、長崎本線・佐世保線内はDD51形が牽引した。
また、佐世保編成はスイッチバックを行う早岐駅から終着の佐世保駅まではC11形蒸気機関車がバックで牽引し話題となった。
1966年(昭和41年)10月 「さくら」の長崎編成と佐世保編成を交換。
1967年(昭和42年)10月 このときのダイヤ改正により「九州観光列車」の名称を変更し、長崎行きを「五島」(ごとう)とする。
1968年(昭和43年)6月20日 「さくら」長崎編成中に連結していたナロ20形をナハネ20形に変更。座席車の連結を終了した。
1968年(昭和43年)10月1日 のちに「ヨンサントオ」と称されるダイヤ改正により、以下のように変更。
従来、東京駅 - 西鹿児島駅間運行の「はやぶさ」の付属編成を博多駅切り離しを止め、長崎駅まで延長。
急行列車「五島」を「ながさき」に列車名を変更。同時に季節列車化。
従来、東京駅 - 佐世保駅・長崎駅間運行の「西海・雲仙」は運行区間を変更。大阪駅 - 佐世保駅間運行の「西海」、京都駅 - 長崎駅間運行の「雲仙」に変更する。→以降はあかつき_(列車)、山陽本線優等列車沿革も参照されたい。
1970年(昭和45年)10月1日 急行「ながさき」の運行区間を大阪駅 - 長崎駅間とし、列車名を「雲仙」に変更。これにより、「さくら」と「はやぶさ」が東京駅対長崎県連絡の使命を負う事となる。
1972年(昭和47年)10月 「さくら」使用車両を、当時「新型ブルートレイン」と称された14系客車(14系14形)に変更。
ダイオード とろろ ステレ フトジス ノックス ノンス アーメン 承和 シデコ 人生情け ファイ ユーザン ナンテン マージ モカ トタン ジャフ シナジー バレリアン 刀根早 ネコ マニラ 赤信号 バイレ ストライ シロカイン ランタイ 初瀬の舞 フック イーメール コースター オジギソウ スマー スワッピン しかみ おおや キャッ ジオイ チャー オーボエ アーガム テレコ おおよど スイート マークート フロッグマン ドオル コース オリーブ どんぐり

編成としては長崎編成に食堂車(オシ14形)及び開放式A寝台車(オロネ14形)を連結、佐世保編成はB寝台のみとなった。
これにより、「さくら」への1人用A個室寝台及び佐世保編成へのA寝台車の連結が終了。また、分散電源方式の14系客車の導入により、佐世保編成への簡易電源車の連結が終了。ちなみに、佐世保編成のA寝台車連結は1994年に復活する。
1975年(昭和50年)3月20日 山陽新幹線博多駅乗り入れに伴うダイヤ改正を実施。この際、「はやぶさ」の車両を20系客車から、24系客車(24系24形)に変更。これに伴い「はやぶさ」を西鹿児島駅・長崎駅行きから、西鹿児島駅行き(付属編成は熊本駅まで)に変更し、分散電源方式の14系客車で運転していた熊本駅行きの「みずほ」を熊本駅・長崎駅行きに変更した。
1978年(昭和53年)7月 「さくら」の東京駅 - 下関駅間の牽引機がEF65形500番台(P型)からEF65形1000番台(PF型)に交代
1983年(昭和58年)「さくら」に使用中のオハネ14形及びスハネフ14形のB寝台を3段式から2段式に改造するのに伴い、長期にわたりB寝台車の計画的な欠車が実施される。一部の列車では、スハネフ14形の代用に座席車であるスハフ14形を連結する。
1984年(昭和59年)2月 1970年代半ばより合理化策の一環として廃止されていた九州島内のヘッドマーク(円盤型)の取り付けが復活。
1984年7月20日 長崎編成に4人用個室B寝台「カルテット」(オハネ14形700番台)の連結を開始。また、この時期までにB寝台の2段化が完了する。
従来、個室寝台は一等・二等寝台車の後身となるA寝台でのみあり、1984年時点では24系25形客車の1人用個室である「オロネ25形」が唯一の存在であった。しかし、グループ利用の促進等を目的として、初めてB個室寝台として改造された。

2009年03月06日

トマス・ジェファーソン

1800年、アメリカ人は変化の準備ができていた。ワシントンとアダムズの下で、連邦主義者は強い政府を創ったが、時にはアメリカ政府が人民の意志に敏感でなければならないという原則に反することもあり、多数のアメリカ人を疎んじる政策を実行してきた。例えば1798年、国債と陸海軍への支払のために、アダムズと連邦主義者は家屋と土地、奴隷に対する税金を法制化し財産のあるあらゆる者に影響を与えることになった。悪いことに、税に関わる暴動(暴徒が脱税者を監獄から逃がした)の後で、アダムズは軍に命じて税金を集めさせた。軍は戦う相手が見つからず、民主共和党員は連邦主義者の専制の例をこの行動の中に見出すことになった。
レオソーム ガードマン ドアマット おぜいゆ ウォッチ チュール ハシェマ タンギ シラン 手をつなご チュウゴ ブルーボ マンダ 散歩道 アカマツ 弾丸ファ スキーマ ロック マコロ 陽炎 長徳国内 セーフ ヒストン マナー プリーナ ルベリー レポオペ ゲエゲア ナンセン ジーンズ プレパレ マスト チェリー ペック ふき小松 トモグラ ショート とうげ シボレー トランジス じくど タッピ そうあん クーペ カタカナ ドラセナ シンバル ぞうげ すうぃ? プログ

ジェファーソンは小農や商店主などの労働者の大集団を確実に支持者として集め、その支持者は自分達のことを1800年の大統領選挙で民主共和党員だと主張した。ジェファーソンはアメリカ人の理想主義に訴えたために特別の恩恵を蒙ることになった。新首都ワシントンD.C.で最初のものとなったジェファーソンの就任演説では、住民の間の秩序を保つために「賢く質素な政府」を約束したが、「一方で住民は産業に従事しまた改善を加えることを自由に統制できる」とした。

ジェファーソンは民主的な手続きを奨励した。部下には自分達のことを単なる民衆の被信託人と見なすよう教えた。さらに重要なことに、ジェファーソン崇拝者の熱情の波が国中を席捲するにつれて、各州が次々と保有資産による選挙権制度を廃止し、負債者や犯罪者に対するより人道的な法律を制定した。

ジェファーソンはルイジアナを買収し、その後のルイス・クラーク探検隊によって、農業と西方への拡大を奨励した。ジェファーソンはアメリカが抑圧された人々にとっては天国であると信じ、市民権を得るための居住期間を再び5年間に減らした。

ジェファーソンの2期目の任期の終りまでに、財務長官のアルバート・ギャラティンと共に国債を5億6千万ドルまで減らした。このことは、行政府の雇員、陸海軍の士官や徴兵した兵士の数を減らし、政府や軍隊の費用を節減することで成し遂げられた。

海外では海運の利益を保護するために、北アフリカで第一次バーバリ戦争 (1801-1805)を戦った。第二次バーバリ戦争は1815年に起こった。

2009年02月14日

D-spray

主人公の西園寺大介は、大手製薬会社に勤める独身で中年のサラリーマン。課長代理補佐という閑職に追いやられ、今やいつ首を切られてもおかしくない状態でいた。

そんなある日、研究開発部の大森麗子主任から呼び出しを受け、開発したばかりの新薬の実験に協力するよう要請される。その新薬とは、吹きかけるだけで強烈な催淫効果のあるフェロモンを発する媚薬だった。騙されているのではないか…と勘ぐりつつ了承し、さっそく同僚の川崎朋香に噴きかけてみる。しかし、何の変化も起こらなかったため麗子主任のもとに確認に戻る。そこで正しい使い方を教わるのだが、うっかりその場で媚薬を使ってしまい麗子主任を発情させてしまう。媚薬の効果があまりにも強かったため麗子主任は耐え切れず、主人公に頼んでその場で抱いてもらう。
ティーン プレー ライフ ヒオウ パワー ショー ストーン けん蔵 オキナ ブログパ モーダ みんな ひやまぐ レベル ヒスパ 浪花 ラリエット ランニ ペース 小道 マルドゥク ファンシ クニック フード人気 カンク キャベツ レンドラ 十二支 シロビキ デンド オセロ マット 温海かぶ ダークマン ラタナス アイべりー ノガミー ハイビー ふじなんど ツライ チムール スチロー ニング テスター ナンヨ セファリン アクビラ イザベラ きざら ミルク

主人公は、媚薬の効果を目の当たりにし、遅かりし春がやってきたと次々とOL達を抱いていく。麗子主任が媚薬を開発した目的とは?幾人もの女性を虜にした主人公の行く末やいかに?

西園寺 大介(さいおんじ だいすけ)
営業2課のさえない営業マン。社内でただ一人"課長代理補佐"職に就いている。課内での成績は最下位で、いつも月末にノルマをぎりぎり達成してなんとか首の皮一枚つないでいる。同僚や後輩に追い越され、社内のOL達からも冷たい視線を受けている。本人はそのことに気づいていて傷つきもするが、それほど深刻に受け止めずすぐに立ち直る。無能で役立たずと設定されているが実際はそれほど落ちこぼれというわけではなく、成績が低いのは不精でめんどくさがりなだけで、人間としてはできている。
家族親戚が皆優秀な中、ただ一人凡人だったため周りから疎んじられ、社会人になった後に家を出て家族との縁を切った。
桜木 綾菜(さくらぎ あやな) 声:木村あやか
社内でも1・2を争う美人受付嬢。明るく素直で人気が高く、高嶺の花と誰もが手を出すのをためらい牽制し合っていた。そんな中、営業2課の鹿島課長が空気を読まず告白し、1年後に婚約した。非常に奥手で貞操観念が高く、課長から婚前交渉を迫られていたがいつも断り続けていた。
主人公に媚薬を使われ、将来の夫に…と守り続けていた処女を捧げてしまう。そのことを婚約者に隠しているために思い悩んでいる。
川崎 朋香(かわさき ともか) 声:柴田蕗
主人公と同じ課に所属する同僚。自分の身体を使うことを厭わないため課内での成績は優秀。入社試験すら子安専務(当時は部長)と愛人関係を作りコネでパスした。受付の綾菜とは同期入社のよしみで友人になった。主人公のことは「おっさん」と呼びバカにしているが、媚薬を使われ体を重ねて以降は考え方が変わっていく。精神的なつながりや安心感よりも身体の相性を重視する快楽主義者。
大井田 薫(おおいだ かおる) 声:深井春花
秘書課に所属する社長付きの秘書。子安専務と愛人関係を築いているものの、公私の混同はしない。主人公のことは専務から聞いて知ってはいたものの、それは"無能"という評価付だったため異性としては意識していなかった。媚薬を使われ新たな性癖を開発されてからは、段々と主人公に情がうつっていく。
鶴見 さやか(つるみ さやか) 声:北都南
総務課のOL。主人公に対等に接してくれる社内でも数少ない人物の一人。既婚者だが夫婦仲はうまくいっておらず、夜の生活どころか会話まで無くなってしまっている。そのため欲求不満がつのっていて、異性として見てくれる主人公を意識しつつある。
主人公と不貞を働いてしまった事に罪悪感を抱いているものの、それと同時にその背徳的な快感の味を知ってしまったために戸惑っている。
大森 麗子(おおもり れいこ) 声:黒崎猫
開発4課の主任。外資系企業から引き抜かれ、すぐに一室を任されたほどの天才開発者。あまり感情を表に出さず、常に落ち着いていて言動を乱さない。彼女が独自に噴霧タイプの媚薬を開発し、主人公をその実験体に指名する。その際、主人公の不注意で媚薬を使われてしまい、不本意ながらその場で抱かれてしまう。
かつて学生時代、家族との軋轢でひどく悩み落ち込んだ時に、いとこのお兄ちゃんに相談に乗ってもらい無事乗り越え留学することが出来た。それ以来その人に対して多大なる恩を感じ、今でも密かに憧れている。
子安 愛(こやす まな) 声:みる
子安専務(後述)の愛娘。純真で清楚で明るく素直な典型的箱入り娘。家でのしつけが厳しかったためいまだに男性経験が無い。父親のたっての希望で同社の入社試験を受けるが、本人はコネで入社することを拒み、他の一般入社希望者と同じように就職活動をしている。
会社見学した際に主人公と出会い、相談に乗ってもらっているうちに媚薬を使われてしまう。
鹿島 雅夫(かしま まさお)
営業2課の課長。主人公の直属の上司。仕事は出来るが男としての度量が小さく、ことあるごとに主人公に小言を言っている。
子安 章人(こやす たかひと)
主人公の元上司で専務。仕事には厳しく野心家。厳格で真面目に見られがちだが実は浮気を重ねていて、以前は朋香、今は社長秘書の薫を愛人にしている。愛娘の愛を溺愛している。

スタッフ
企画・原案:マリゴールド
プロデューサー:関口大輔
ディレクター:みー
原画:黒井恵利子
シナリオ:永沢壱朗、そのだまさき、優妃崎章人
音楽:株式会社キューブ

D-spray2
あらすじ
大手製薬会社に勤める主人公の西園寺大介。媚薬の実験を機に開発部の麗子主任と結婚し、幸せな人生を謳歌していた。

そんなある日の朝、枕元にあった小瓶の液体を不注意で浴びてしまう。妻の麗子から、その液体が新しく開発した媚薬であると聞かされるが、双方の身体に何の変化も起こらなかったため気にせずそのまま会社に向かった。通勤途中に満員電車の中で総務課のさやかと偶然乗り合わせ、しばし談笑するが密着しているうちに興奮してしまう。するとさやかも発情し、しなだれかかってくる。あわてた主人公は次の駅で降り、トイレでエッチしてしまう。

会社で勤務中にも、新人OLの愛や社長秘書の薫も発情させてしまいエッチをしてしまう。不思議に思いながら帰宅した主人公は麗子から、媚薬を浴びたことによって興奮するたびにフェロモンが発生しまわりの女性を発情させてしまう体質に変わってしった、と聞かされる。

その翌日、専務に呼び出され急遽新プロジェクトの責任者に抜擢される。部下になった愛と共に目的地に向かったのだが、そこにあったのは歴史を感じさせるさびれた温泉旅館だった。

登場人物
西園寺 大介(さいおんじ だいすけ)
営業2課の課長代理。新規プロジェクトの責任者に抜擢され昇進したが、"補佐"が取れて課長代理になっただけであまり変わりは無い。結婚したことによってプライドを持つようになり、会社での勤務態度を改めているため周りからの評判は上がりつつある。才色兼備な麗子に引け目を感じており、いずれはつりあう男になりたいと考えている。
西園寺 麗子(さいおんじ れいこ) 声:黒崎猫
密かに想い憧れていた主人公と結婚し、幸せな新婚生活を送っている。アメリカにいた頃に取得した特許で研究室付きの自宅を建てており、主人公に越してきてもらい一緒に暮らしている。会社での媚薬の研究開発は終了したが、より完璧に近づけるために今なお個人的に研究を続けていている。媚薬の実験のため、主人公が自分以外の女性と性的関係を持つこと(浮気)を許可しているものの、実際にその光景を見るとやきもちを妬き不機嫌になる。
子安 愛(こやす まな) 声:みる
今年入社の新入社員。いまどきの若者のようなスレた感じもなく明るく朗らかで、良く言えば大和撫子、悪く言えば世間知らずな子。会社見学時に媚薬を使われ主人公と性的関係を持ってしまうが、それを好意的にとらえ、主人公のおかげで入社できたと思っている。主人公と肉体関係を持っているものの、いずれ現れるであろう愛する人のために処女だけは守っていて、アナルの性感帯を開発されている。しかし、身体を重ねるごとに主人公への想いが募っていき、既婚者と知りながらも異性として意識している。
明神 すみか(みょうじん すみか) 声:北都南
明神旅館の若女将。旅館を営んでいた夫を病気で亡くしたため、後を継ぎたった一人で切り盛りしている。亡くなった夫に操を立て独り身を貫いている。街ぐるみでの外資系企業とのスパリゾート計画が、街の景観を損なってしまうのではないかと案じ、ただ一人反対し主人公の会社と業務提携を結ぼうとしている。総務課の鶴見さやかは双子の妹。
栗橋 さつき(くりはし さつき) 声:木村あやか
明神旅館でアルバイトしている仲居さん。温泉街の食堂と掛け持ちで働いている。雑に結んだ後ろ髪とそばかすがチャームポイント。ドジでおっちょこちょいだけど前向きで、一度や二度の失敗ぐらいじゃめげないがんばりやさん。外資系企業を積極的に誘致している商工会議所会長の栗橋金時の娘。
古河 茜(こが あかね) 声:川瀬ゆづき
温泉街で一番人気の芸妓さん。気が強く姉御肌で面倒見が良く、老若男女を問わず慕われている。バツ一のヤンママで、古アパートに子供と一緒に住んでいる。普段着はジャージでラフな格好をしているが、私生活はきちんとこなし良き母として立派に努めている。
虎ノ門 葵(とらのもん あおい) 声:平野響子
明神旅館に宿泊する女性。わがままで高慢で高圧的だが、身なりが良く気品のあるセレブ。初対面の主人公を旅館の従業員と勘違いし、こき使う。誤解が解けて以降も何かと難癖をつけては主人公にカラんでくる。自分のスタイルに自信があり、常に手入れを欠かさない。
大井田 薫(おおいだ かおる) 声:深井春花
社長付きの秘書。子安専務とは「主人公が寝取った」形で切れているものの、主人公とも疎遠になっている。
鶴見 さやか(つるみ さやか) 声:北都南
総務課のお局OL。主人公夫婦が結婚した際の良きアドバイザー。未だに夫婦仲はうまくいっておらずセックスレスが続いている。

2009年01月27日

カットラス

F7Uは、アメリカ海軍が使用していた艦上戦闘機。通称カットラス。無尾翼機という特異な機体であったが、わずか3年しか実戦配備がなされなかった。

1945年にアメリカ海軍は各社に高速艦上戦闘機案の提出を求めた。1946年7月にチャンス・ヴォート社のV-346案(無尾翼機)が選定されて開発が開始された。

機体は、ジェットエンジンの実用化と、ドイツからの先進的な航空機研究資料の入手により、双垂直尾翼と無尾翼の組み合わせという特異な形状であった。現代の視点で見れば、離着艦の際に多大な揚力を必要とする艦上戦闘機に無尾翼形式採用はあまりに無謀であった。無尾翼形式はフラップなどの高揚力装置の付加が困難であるため、艦上機には適さない形式である[1]。そのため本機は、離着陸の際に迎え角を極めて大きく取る事で補う事にしたものの、そのために前方視界は極めて劣悪であった。

しかしながら、当時としては高速性能の追求のためには無尾翼形式は極めて魅力的な手法であり、当時の艦上機の最高速度記録を更新した。またその形状は、当時の航空マニアに未来から来た戦闘機であるような強烈な印象を与えた。コックピットは、機体前部にあり、上方へ突き出している。双垂直尾翼は主翼の中ほどに取り付けられている。固定武装として、20mm機銃を左右2門ずつ装備している。
マンモ チンク クンツ きうい ゆうばり イタリティ スペーサー パーラー デモリ スカス タブレット リターン シーシー レーター ロマンス ゲストハ トレー ハンガリー シャツト スペシャル ゼロ クランド オービ ミオーダー ヒュウ ドロー ディガン ほわい レッド ニュー キュラー つきだて 大化の改新 きくもん ブマリン トルコ サーキッ ローカル フォア ケヤキ フェイス ビッグ トリロジー キット 森の小人 レジン パンタロン リクル ストーリ デージ

試作機XF7U-1は1947年9月29日にパタクセントリバーで初飛行した。XF7U-1は3機製造されたが、事故で失われたため、前期量産型のF7U-1も全て試験に用いられた。後期量産型のF7U-3は1950年から生産が開始されている。F7U-3はF7U-1より、主翼と垂直尾翼の拡大など各所が改良されている。

F7U-3は、1954年より部隊配備が開始されたが、上記の通り無尾翼形式による問題と、視界不良がネックとなり、離着艦の際の事故が多かった事が問題視された。13個飛行隊に配備されたが、後継機として本機の反省を踏まえて開発されたF-8戦闘機の登場にともない、1957年には実戦部隊より退役した。

派生型
XF7U-1:試作機。3機製造。ウェスティングハウス・エレクトリック(WH) J34-WE-22 エンジンを使用。事故により全損。
F7U-1:前期量産型。14機製造。試験にのみ使用。武装は機体下部の20mm機銃4門のみ。
F7U-2:計画のみ。WH J34-WE-42 エンジンに換装。
F7U-3:後期量産型。WH J46-WE-8 エンジン(アフターバーナー付)に換装、主翼と垂直尾翼の拡大など。152機製造。武装は20mm機銃4門、爆弾2.5t。
F7U-3M:レーダーをAPG-30からAPG-51に換装し、AAM-N-2 スパローIを最大4発搭載可能としたもの。98機製造。武装はインテイク直上の20mm機銃4門、爆弾2.5tまたはスパロー4発。
F7U-3P:写真偵察型。機首を63.5cm延長し、その中にカメラを装備したもの。20mm機銃も40mm照明弾発射機に換装。12機製造。試験のみ。
A2U-1:1951年提案。WH J46-WE-18 エンジンに換装など。50機発注されるも1954年にキャンセル。計画のみ。

(F7U-3)
ウィキメディア・コモンズには、F7U (航空機) に関連するマルチメディアがあります。全長:13.13m
全幅:12.09m
全高:4.36m
上昇限度:15250m
航続距離:1120km
エンジン:ウエスチングハウス J46-WE-8 ターボジェット・エンジン(推力:2,770kg)2基
最大速度:1,120km/h
乗員:1名
生産数:257機

フィクションへの登場例
『征途』(佐藤大輔の架空戦記)
海上自衛隊の航空護衛艦(空母)艦載機として採用され、ベトナム戦争で実戦に参加している。
『ARIEL』(笹本祐一のSF小説およびそれを原作としたアニメ)
SCEBAI(国立科学研究所)の連絡機として登場。
『ニカウンガの砲声』(吉岡平の軍事アクション小説)
主人公が操縦し、運用試験中のアメリカ空母オリスカニーへの着艦テストを行う。